神様は、四千年を経てイエス様を送られました。
イエス様は、長い歴史を経てこられた方です。
生まれるときは、母親のおなかを通して十か月で生まれたのですが、地上に来るために、四千年前から準備された方なのです。
(真の父母経74ページ)
イエス様は、サタンが讒訴できる位置を抜け出した立場で生まれたので、原罪がない方です。
サタンの主管圏内においてサタンと相対したのが原罪ですが、イエス様はサタンの讒訴条件を越えてお生まれになった方なので、原罪とは関係がないというのです。
サタンの主管圏内においてサタンと相対したのが原罪ですが、イエス様はサタンの讒訴条件を越えてお生まれになった方なので、原罪とは関係がないというのです。
このために入れ替える歴史があったのです。
エサウとヤコブの時に入れ替え、また、ペレヅとゼラの時に入れ替えて、勝利の基盤を築いてきました。
エサウとヤコブの時に入れ替え、また、ペレヅとゼラの時に入れ替えて、勝利の基盤を築いてきました。
ですから、イエス様は、原罪と関係のない人間として生まれたのです。
(同36ページ)
神様は、アダムとエバの堕落以降、失ってしまった子女が戻ってくることを、ただ待っていることはできませんでした。神様は、人間がサタンの讒訴条件を抜け出すことができる道を探し求めてこられたというのです。その路程が、どれほど大変で、悲惨だったでしょうか。サタンが王になっている世界で、神様の立場はどのようなものだったでしょうか。
ひとり子イエス・キリストを、サタンの讒訴条件を免れた位置で誕生させるまでの神様の苦労は、到底言い表すことができませんでした。(真の父母経33ページ)
ひとり子イエス・キリストを、サタンの讒訴条件を免れた位置で誕生させるまでの神様の苦労は、到底言い表すことができませんでした。(真の父母経33ページ)
イエス様は、神様の主管下で生まれた息子なので、原罪を免れた立場に立ちました。
サタンの讒訴条件を持っているがゆえに原罪があるというのですが、原罪を免れた立場に立っているため、本然の基準、堕落する前のアダムの位置に帰ることができるのです。
サタンの讒訴条件を持っているがゆえに原罪があるというのですが、原罪を免れた立場に立っているため、本然の基準、堕落する前のアダムの位置に帰ることができるのです。
ですから、イエス様だけが第二次のアダムになることができます。人類の先祖として、アダムが失敗したことを復帰できます。
アダムの位置を身代わりできるのです。
ここから新しい歴史時代に入ります。
イエスは無原罪で生まれたので、サタンの讒訴から完全に脱しました。
サタンの讒訴から脱すると同時に、サタンを完全に屈服させました。
ここから新しい歴史時代に入ります。
イエスは無原罪で生まれたので、サタンの讒訴から完全に脱しました。
サタンの讒訴から脱すると同時に、サタンを完全に屈服させました。
天使長を屈服させたというのです。
イエス様は、このように神様の息子として、堂々と本然のアダムの位置に立つことができました。
イエス様は、このように神様の息子として、堂々と本然のアダムの位置に立つことができました。
(同37ページ)
聖書には、ヤコブが母であるリベカと一つになって、兄エサウと父イサクを欺き、祝福される話があり、また、タマルが舅と関係を結んで生んだペレヅとゼラを中心として、ユダの支派が祝福を受けるようになったという内容が出てきます。
このような、人倫や道徳観において解決できない内容が、どうしてあるのかということが問題です。
そして、マタイによる福音書を見れば、四大淫女についての話が出てきます。
タマルが出てきて、バテシバが出てきて、ラハブが出てきて、ルツが出てきます。
マタイによる福音書は創世記に相当するものですが、歴史時代において、最初の章になぜこのような神聖でない、汚点を持っている女性たちが出て来たのかというのです。
このようなすべての問題は、堕落論を知らなければ解決するすべがありません。
マタイによる福音書は創世記に相当するものですが、歴史時代において、最初の章になぜこのような神聖でない、汚点を持っている女性たちが出て来たのかというのです。
このようなすべての問題は、堕落論を知らなければ解決するすべがありません。
(同37ページ)
ヨセフと婚約したマリヤは、エバとちょうど同じです。
アダムとエバは、堕落する時、婚約した立場にいました。
アダムとエバが婚約段階にいるときに堕落したのと同じなので、これを蕩減復帰するためには、リベカの伝統を引き継がなければならず、タマルの伝統を引き継げる女性がいなければなりません。
アダムとエバが婚約段階にいるときに堕落したのと同じなので、これを蕩減復帰するためには、リベカの伝統を引き継がなければならず、タマルの伝統を引き継げる女性がいなければなりません。
そのため、血統を清めた女性を代表した基準で、それを相続できる位置に立った人がマリヤでした。
マリヤは、神様の息子、娘を生むために命を捧げることを覚悟し、犠牲になる道でも、神様のみ旨を立てた女性でした。
タマルのように、イスラエルの王権を立てることを最高の希望と思い、自分の身がどうなろうと、死のうと生きようと、自分を通して神様のみ旨を継承しようとした歴史的な女性でした。
マリヤは、神様の息子、娘を生むために命を捧げることを覚悟し、犠牲になる道でも、神様のみ旨を立てた女性でした。
タマルのように、イスラエルの王権を立てることを最高の希望と思い、自分の身がどうなろうと、死のうと生きようと、自分を通して神様のみ旨を継承しようとした歴史的な女性でした。
(同37ページ)
マリヤの腹中にいるイエス様に対しては、サタンが讒訴できません。
イエス様が生まれるようになったのも、マリヤが動機になったのではなく、神様のみ旨を中心として、神様の命令によって生まれたので、神様が動機となったのであり、また出生に至る過程も、腹中の勝利の基盤をもつマリヤの腹中から生まれたイエス様だったので、イエス様には、サタンのいかなる讒訴条件もあり得ないというのです。
イエス様が生まれるようになったのも、マリヤが動機になったのではなく、神様のみ旨を中心として、神様の命令によって生まれたので、神様が動機となったのであり、また出生に至る過程も、腹中の勝利の基盤をもつマリヤの腹中から生まれたイエス様だったので、イエス様には、サタンのいかなる讒訴条件もあり得ないというのです。
歴史時代に、腹中から始まったアダムとエバ以降のあらゆる闘いの基盤を、初めて腹中から分別したというのです。
このような血統もって現れた人がイエス様でした。
ですから、イエス様は、いかなる預言者や、いかなる世界的な宗教指導者とも、その根本が違うというのです。
ですから、イエス様は、いかなる預言者や、いかなる世界的な宗教指導者とも、その根本が違うというのです。
イエス様は、サタンが讒訴できない血統的な内容を備えてこられた世界的な代表者です。
また、歴史的な内容をすべて清算して来られた方なので、正に神様を中心とした血統的な内容をもって生まれた最初の人に違いありません。
イエス様は、このような動機や過程を経て、神様の真の息子として、この地上に誕生するようになったのです。
(同38ページ)
ヤコブはヤボク川のほとりで天使を屈服させる霊的勝利の条件と実体の天使長の立場であるエサウを屈服させることにより、歴史始まって以来、初めて勝利したというイスラエルの祝福を受けるようになりました。
しかし、そのときは既に、年が四十代でした。
サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しなければ、天の息子が胎中から誕生できなかったのです。
ですから、ヤコブの勝利によっても、いまだ分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりませんでした。
しかし、そのときは既に、年が四十代でした。
サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しなければ、天の息子が胎中から誕生できなかったのです。
ですから、ヤコブの勝利によっても、いまだ分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりませんでした。
結果的にこの責任を引き受けた偉大な母が、タマルでした。(真の父母経560ページ)
イエス様は、血統を清めた上で来ました。
双子の時代、すなわちエサウとヤコブを通して長子権を復帰し、タマルの腹中でペレヅとゼラの、歴史にない闘いを通して、ひっくり返すことによって、血統転換をしました。歴史がすべてみせてくれたのです。
聖書は、本当に啓示的です。世界史、文化史、宗教史において欠かせない宝典です。
人類歴史に関する曲折の事情と秘密が、すべて含まれています。
それを解かなければなりません。
このようにして、血統を復帰しなければならないのです。
マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統が転換されています。
血統が転換された位置から来たのでイエス様の相対となり得る新婦も、血統転換歴史の過程を経なければなりません。
マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統が転換されています。
血統が転換された位置から来たのでイエス様の相対となり得る新婦も、血統転換歴史の過程を経なければなりません。
(同39ページ)
サタンはいつも、人間を自らの方へ引きずり込むため、人間の中に鉤が無いかと探しているのです。
普通の人間は、至る所に讒訴条件があるので、サタンはたやすくそれを見つけることができます。
しかしイエス様という人は、どこを探しても、サタンが引っ掛けることができる鉤を持っていない方でした。
だからイエス様はサタンの讒訴から完全に自由となって、神と一体化することができたのです。
イエス様がそのようにしてサタン世界を越えて、神と一つになったからこそ、神はイエス様を百パーセント用いることができたのです。
それゆえに神はサタンに対して「サタンよ、お前は私の子イエスを十字架につけて殺したのだから、私は私でイエスを復活させるのだ」と堂々と主張することができました。
かくして神は、サタンに対して何の遠慮も無く、自分の力を行使して、イエス様を復活させることができました。
(み旨と世界552ページ 1977/04/18 ニューヨーク)
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