2022年11月14日月曜日

マインドコントロール?

 マインドコントロール?

以下、教会の草創期に韓国で起こったこと

「すべての人が『死ね』と言い、『滅びろ』と言ったにもかかわらず、私は滅びませんでした。
なぜ滅びなかったのでしょうか。人々が罵れば罵るほど、私が孤独であれば孤独であるほど、涙を流して私を慰労する人が次第に増えたからです。
私が刑務所に入っていれば、我先にと刑務所に面会に行こうとするのです。
また、統一教会員たちは、午前八時以降に面会ができるのに、夜中の一時から列をつくって座りながら待っているのです。それが西大門刑務所での記録です。
ですから、人々が『人々を狂わせるにしても、どうやったらあそこまで狂わせることができるのか』と言ったのです。」(真の父母経775ページ)
(iyo)(1955年7月4日拘束され、西大門刑務所へ。10月4日無罪釈放)

「梨花女子大と延世大事件の時、三か月の間に梨花女子大がひっくり返るような出来事が起きました。
三か月の間に百人以上の学生が統一教会に通ったのですが、学校側が反対して通わせないようにしたため『お風呂に行く』と言っては統一教会に行くようなことまで起きました。
ですから、学校側が緊急対策を立てて防がざるを得ませんでした。
それで、「(学校側では)統一教会か、梨花女子大か、二者択一しなさい」と言ったのです。
どれほど切迫していれば、そのようなことを迫るでしょうか。
統一教会に通う学生たちはみな「退学する」と言いました。
・・・・(中略)・・・・
それで、金活蘭総長が『統一教会について調査しなさい』と言って、そこの社会事業課長を努めながら神学や宗教問題について全権を握り、責任をもっていた金永雲博士を送りました。
そのようにして金永雲が来たのですが、一週間で180度ひっくり返ってしまいました。」
・・・・(中略)・・・・
(梨花女子大は)アメリカのメソジスト教会の財団から一年に数十万ドルずつ、それ以外のところからも様々な支援を受けていたのですが、その支援が打ち切られそうなので、これを歓迎することはできないというのです。
ですから、政府を通して(先生を)叩き潰すために、大統領まで動かしたのです。」(真の父母経769ページ)

(iyo)当時、梨花女子大の副総長は朴マリヤといい、副大統領夫人。
最終的に退学になったのは梨花女子大では14人。
金永雲博士はその後、統一教会の宣教師としてアメリカ開拓をされました。

「統一教会員たちが激しく反対され、迫害されていた頃は、おばさんたちが、買い物かごを下げて『市場に行く』と言って出ていくのですが、気がついて見ると統一教会についているのです。そのようなことが普通に起こりました。
珍しいことでもありませんでした。ですから、狂ったとか、何か電気装置を仕掛けたと言うのです。」(真の父母経772ページ)

(iyo)上記は西大門刑務所入監のころのこと。
先生は刑務所に6回も入っています。
普通に考えれば大悪人!
「はじめに」の中にも少し書きましたがアメリカでも刑務所に入っています。
(1984年7月20日 コネティカット州ダンベリー連邦刑務所)

以下はアメリカで!

「アメリカの監獄に入っても、心配はしませんでした。監獄がどれほど気楽か分かりません。私は、以前は三時間しか寝なかったのですが、そこでは八時間寝なければご飯をくれないのです。」(真の父母経810ページ)
(iyo)・・・・まさに常連さんです。

「私が監獄にいた時、監獄にいる人の中で私に従ってこようとする人が本当に沢山いました。
だからといって、私が説教をしたわけでもありません。話はしませんでしたが、毎日過ごす生活を通して彼らに影響を与えたのです。
ダンベリーにいた人々に、私が『集まりなさい』と言えば、恐らく監獄から出てきた人は、みな来るだろうと思います。」(真の父母経810ページ)

「ダンベリー刑務所から出てくる時には、多くの囚人たちが歓送しようとしました。
そうして、私が何日の何時に出所するかを彼らがあらかじめ把握したあと、『道に出て行って見送りしよう』と言っているのを刑務所の所長が知って、大変なことになったと考えたのです。
文某が出ていくとき、二百人近い人々がみな出てくれば大騒ぎになりそうなので、『午前八時に出所する』と言っておいて、七時に他の所から送り出したのです。
私が出発したあとに囚人たちがそれを知り、『全く、なぜそのようなひどいことができるのか』と騒ぎ立て、抗議したというのです。」(真の父母経821ページ)
(iyo)刑務所では七人以上集まらないようにとの制限があるようです。


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