2023年9月30日土曜日

人間は万物の霊長

 神様は、アダムとエバの外的で生物的な成長のための足場として、美しく繊細に準備した環境である万物世界を創造されました。このような環境の中で人間は成長し、発展します。
神様のより深い関心は、人間の内的性稟と愛の人格にありました。彼らは、真の愛の経験を通し、神様の真の愛に似て完成するのです。神様は、愛の力を内的で非物質的な力の中で最も強力なものとして創造されました。(天聖経643ページ)

「万物之衆惟人最貴(マンムルチチェンユインチェキ:あらゆるものの中で人間が最も貴い)」という言葉はもっともな話です。神様も愛の相対が必要で、人間を造ったのです。中心である人間を手本として、和合し、吸収されるようにすべての万物を造ったのも、愛の理想のためです。(天聖経643ページ)

神様の創造過程を探ってみれば、神様は万物を先に創造された土台の上に、最終的に人間を造られました。人間は、最後に造られた傑作です。神様を中心としてすべてのものが始まったのです。人間の創造を終えることによって、神様と人間、そして万物が平衡を保った立場で統一されることを願われたのです。人間は、神様を中心とする霊界と肉界を接触させる媒介体の使命を持っているのです。(天聖経644ページ)

神様が人間を万物の霊長として立てるとき、天地の全ての環境を代表したその中心として立てました。そのため、全ての人間は、宇宙の中心になろうと主張できる自主権を持っているのです。それは、猿の世界やライオンの世界、虎の世界にはありません。人間世界にだけあるのです。 
人間は万物の霊長だと言いますが、万物の根本となる霊長は神様です。人間には霊があります。人間はその霊の中の長
であるため、結局、神様と直結させて霊長と言うのです。万物の霊長は、人間それ自体だけではなることができません。人も被造物なのに、どのように万物の霊長になるのかというのです。
被造物とは相対的結果体です。被造物としてだけでは原因に通じることができず、原因を占領することができません。(天聖経395ページ)

人間が万物の霊長という特別な価値をもって生きる条件とは何でしょうか。万物よりも先にあり、それ以後にも永遠に存在する神様の心情をもつことです。神様の心情をもてば、何よりも先立つことができます。中心、すなわち根と関係を結んでこそ、人間の価値が決定されるのです。それがすなわち心情です。
この心情は、太初から神様と共にあるものです。この心情をもって号令をかけるとき、万物は、「はい、おっしゃるとおりです。ありがとうございます」と言うでしょう。そのようになっています。しかし、神様も万物もなぜ悲しむのでしょうか。それは、この心情関係が断ち切れたからです。この断ち切れた心情関係をつなぐためのものが復帰歴史であり、復活の歴史です。心情関係がつながれば、神様に対して「あなたは私の父であり、私はあなたの息子、娘です」と言うことを否定する論理はありません。いかなる人も否定できません。父子の間の心情関係は、いかなるものによっても否定できないのです。(天聖経649ページ)

大洋を行き来する大きな船が破損する危険が生じるときは、その船の中で暮らしていたねずみが錨綱をつたって陸地に逃げるという話を聞いたことがありますか。
微々たるものにすぎない動物も、未来の自分の生死の境を見極められるのに、万物の霊長である人間は、それができないのです。これは堕落したためです。(平和経581ページ)

愛の理想を中心としてみるとき、動植物の世界の愛の関係は、すべて繁殖を前提としてのみ行われます。しかし、人間だけはその例外です。人間は、夫婦の愛の関係において自由を享受します。それが万物の霊長たる特権です。神様は、息子、娘である人間が無限の喜びを持つように祝福したのです。

神様が許してくださった真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性なしに個々人が愛の自由だけを主張して実践すれば、どれほど大きな混乱と破局がもたらされるでしょうか。
至高な愛の理想を達成する人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。
その責任性とは、次の三つを考えることができます。

第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修養、自己管理によって自由な真の愛の主体となる責任です。人における愛の責任性は、法や世間体のために守られるものではなく、神様との生きた縦的な関係の中で、自己主管、自己決断によって守られるものです。
第二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に、自分に対する相対からの愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子女の縦的な愛の関係とは異なり、分けられれば、もはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間では絶対的な愛の一体を形成するようになっている創造原理のためです。人には、絶対に自分の相対のために生きる愛の責任性があるのです。
第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけでなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生きた要素を提供することです。家庭が貴い理由はそのためです。生活的な経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、真の家庭以外にいかなるところでも得ることはできません。(平和経116ページ)

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