2023年9月6日水曜日

世界言論人会議

 世界言論人会議の第1回は  1978/10/19  ニューヨーク ウォルドルフ・アストリア・ホテルで開催されました。
2001/01/15に東京で第18回が行われています。手元の資料(平和経)ではこれが最後で、科学の統一に関する国際会議に比べると、掲載ページ数もこちらの方が少な目ですが、過去に経験したことを交えながら、やや大らかな口調のように感じられます。
ここでも、「科学の統一に関する国際会議」と同じく、私の独断でほんの一部を掲載します。

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1982/10/04 第五回 ソウル ロッテ・ホテル
テーマ:「社会の諸問題と言論の責任」
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朝鮮戦争が起きたとき、私は北朝鮮の共産刑務所に収監されていました。その刑務所の悲惨な状況は、とても言葉では表現することができません。そこに収監された政治思想犯たちのある者は、六か月足らずで死んでいきました。
私は神様の特別な御加護のもと、三年近い長い歳月をその刑務所で耐え抜きました。仁川上陸作戦に続いて国連軍が北へ北へと攻め上がっていく中で、焦った共産主義者たちは、収監されていた政治思想犯を処刑し始めました。私に最後の瞬間が迫ってきていました。ところが、私は連れていかれて処刑される前の日に、劇的に国連軍の助けによって解放されるようになりました。・・・・(中略)・・・・
私は、マッカーサー元帥に生前に会うことができませんでした。しかし、この朝、幸運なことに、私たちはマッカーサー元帥の甥である、ダグラス・マッカーサー二世大使を基調演説者迎えることになりました。(平和経817ページ)
(iyo )ここで言う「北朝鮮の共産刑務所」とは興南にある肥料工場で、2年8ケ月間強制労働に服しました。
仁川上陸作戦により、先生はマッカーサー元帥に救われたということができます。甥のダグラス・マッカーサー二世は駐日大使をしていました。

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1984/11/20  第七回 東京 ホテル・ニューオータニ
テーマ:「言論の信頼性と社会的責任」
(iyo )この時、先生は収監中で、アメリカのコネティカット州・ダンベリー刑務所からメッセージを送っています。
ダグラス・マッカーサー2世はこの時も参加しています。総理大臣経験者も複数参加。

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1990/04/09 第十一回 モスクワ ソビン・センター
テーマ:「真の統一と一つの世界」
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アダムとエバは、まず自分たち同士が愛の中で一つになってこそ、神様の愛の完全な対象となることができたのです。したがって、アダムとエバが一組の成熟した人間となって神様に似るようになり、神様の愛を受け、また愛を神様にお返しするためには、成長と成熟の期間を必要としたのです。真の愛の模範は、仕えられることではなく他に仕えることです。神様は、最初に御自身の愛の対象を創造されるとき、御自身のすべてのエネルギー、すなわち御自身のすべてを100パーセント投入されました。このようにして神様は、真の愛の模範をつくられたのです。言い換えれば、神様は、御自身を完全に消耗し尽くす真の愛の伝統を立てられたというのです。そして真の愛は宇宙の中心になったのです。人間を創造されるとき、神様は御自身を完全に投入し尽くしました。神様は御自身を全く空にされたのです。
大気中に低気圧の部分が生じると高気圧の部分は自動的に低気圧の方に引っ張られていくようになります。同様に誰かが他に絶対的に侍るようになるときには、常にその人を満たしてあげるためにエネルギーが結集するようになります。したがって、御自身の完全な愛の対象を創造するために神様がくださったすべての愛を、男性と女性は究極的に神様にお返ししてさしあげなければなりません。
ただ愛のみがすべての障壁を超越します。私たちが真の愛の中で神様と一つになるとき、肉的、霊的被造物に対する私たちの主管が可能になります。徹底して他のために生きるとき、私たちは初めて神様の本質に到達することができます。そうすれば、神様の思いが人間の思いとなり、神様が感じられることが自然に人間に伝達されるのです。このように生きていくとき、人間は神様の心情と愛に共鳴する器となり、二つの音叉が共鳴するように人間と神様も常に共鳴するようになるのです。(平和経837ページ)
(iyo )反共主義者の先生がモスクワで神様を語るというのは、たいへんな冒険というか暴挙というか!・・・・実際には国賓としての待遇を受けたようです。この時はNHKの人気記者も参加していました。

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1992/08/22 第十二回 ソウル ヒルトン・ホテル
テーマ:「二十一世紀における言論人の使命」
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今日、自由世界の中には、共産主義に劣らぬ社会悪が台頭しています。それは、物質中心の人本主義思想であり、そこから派生する極度の個人主義と利己主義の膨張です。いつの間にか私たちの社会に、黄金と財物が神として君臨するようになりました。
私は、人本主義を頭から排撃するわけではありません。問題は、社会における人本主義が、徹底した無神論に立脚していることにあります。もし人本主義によって神様の実在と創造主の創造の意義が否定されるならば、人間は一握りの土に転落してしまうか、せいぜい一つの機械とみなされるでしょう。
これが、マルクス・レーニン主義が犯した過ちではないですか。神はいないと考えるのですから、人間は動物と大した違いがありません。そして、そこには宗教に基づく道徳があり得ず、霊魂や永生を認めないので、人間は人間に対して無慈悲になり、人間が人間に対して行うあらゆる暴悪を正当化することが可能になるのです。
このような風潮の中にあって、共産主義の解放に勝利感をもつべき自由世界の先進諸国の様相はどうでしょうか。極端な利己主義と個人主義は享楽主義を生み、すべての社会生活に腐敗が氾濫するようになりました。家庭は破綻し、政治的な腐敗は深まり、経済は衰退し、未来の主人である若者たちは、非道徳と麻薬と犯罪によって、その良心が姿をくらましつつあります。そのような彼らにどうして二十一世紀の主役を期待することができるでしょうか。(平和経858ページ)
私は昨年の11月30日、不倶戴天の怨讐である共産主義国、北朝鮮を訪問しました。・・・・(中略)・・・・
彼(金日成)は私のことを怨讐視し、生命を奪おうとしていた人であり、三年もの間、監獄に閉じ込めた人でした。私はその怨讐を抱擁したのです。私の胸中に彼が怨讐であるという思いがあったとしたら、どうしてこのようなことが可能だったでしょうか。
私は、父母の心情で北朝鮮の地を訪ねていきました。そして、父母の心情で金日成主席を抱擁しました。私は真の愛を実践するために行ったのです。そこには闘争の概念は無く、憐憫の情があるだけでした。(平和経860ページ)
(iyo )「三年もの間、監獄に閉じ込めた」とは、前述の興南収容所でのこと。

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1997/11/26 第十四回 ワシントンDC JW・マリオット・ホテル
テーマ:「世界化と世論、二十一世紀を展望しながら」
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私は既に「ソ連共産帝国は間もなく終焉を告げるであろう」と警告したことがあります。1985年、ジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー」世界大会のテーマを「ソ連共産帝国の滅亡」とするように世界の碩学たちに通達しました。
学者たちは、初めはもちろん当時の米ソ関係を見て、私のこのような主張にとまどいながら、非常に困り果てた様子でした。しかし、私の説得力ある主張を受け入れて、その大会のテーマが私の提案通り採択されました。
第十一回「世界言論人会議」が1990年4月、モスクワで開催されたとき、私は「ワシントン・タイムズ」を中心につながっている自由世界の言論人たちを多数伴い、ゴルバチョフソ連大統領(当時)に会ったのです。
私は、ゴルバチョフ大統領に会ったとき、無神論的唯物論の未来は自己破滅しかなく、唯物論を放棄して、宗教を中心とした霊的価値観の復活を試みるように忠告しました。(平和経873ページ)
(iyo )モスクワ訪問や北朝鮮訪問の内容は先生の自叙伝により詳しく載っています。
韓国版は金寧社から出版されていますが、日本語版は、
「平和を愛する世界人として」 文鮮明自叙伝 文鮮明著
翻訳・編集協力:株式会社 光言社   発行所:株式会社 創芸社 
金寧社は韓国では大手出版社のようで、編集にあたっては宗教用語の使用は控えめにされているとか。

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2001/01/15 2001世界言論人会議 東京 京王プラザ・インターコンチネンタル・ホテル
テーマ:「新千年における言論の統一された方向」
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人間の尊厳性の根拠は、どこにあるのでしょうか。人類は本来、神様によって、神様の子女として創造されました。私たちが神様のことをしばしば「父」と呼ぶのはこのためです。そして、私たちの目標は、神様に似た子女として成長し、神様の神性を相続することです。さらに神様を中心とした個人は、同様に神様を中心として生活する家庭を形成するようになります。結局、全人類は、この真の家庭で、真の父母であられる神様の愛と生命と血統を受継ぐようになるのです。
人間社会における宗教の役割は、人間と神様の関係を向上させる上で重要なものです。そのような意味で、信仰は必須的なものです。皆様がいかなる宗教を信じたとしても、その宗教が提示する皆様と神様との関係が核心となります。特に人間が信仰を通して、絶対、唯一、永遠、不変であられる神様と一つになるときに、人間の内的価値も、絶対、唯一、永遠、不変になります。ですから、信仰は、人間の尊厳性に必須不可欠な価値をもっているのです。
そのような意味で、信仰の自由、信仰生活、信仰に基づいた活動などは、理想社会を建設するための柱になるのです。このような信仰的価値観を土台とした人間の生活は、ために生きる神様の真の愛の世界へと人類を導いていくでしょう。すべての宗教が、信仰を土台として真の愛を実践するとき、世界は神様のもとの一つの兄弟姉妹として結ばれるようになるのです。(平和経879ページ)


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