少し考える人は、
このようなことを見るとき、愛の神様は存在しないと速断しやすいのです。
しかし、人間が自ら罪を犯したので、それを解決できる解放圏に対する条件を人間自身が立てなければ、神様は人間を無条件に解放することはできないのです。
それができる神様であれば、初めから人間始祖をエデンの園から追い出したりはしなかったはずです。
ましてや、サタンが血統的な因縁を掲げて主人として君臨しているので、なおさら難しいのです。
(平和経1552ページ)
天地創造の大原則基準を中心として、神様が定めたその法を破って自分の思い通りにする神様ではありません。
ですから、堕落したアダムとエバに干渉できなかったのです。
干渉できる位置は、完成の位置です。
(同413ページ)
永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、太初に理想とされた基準も、永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。
サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。
神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められるでしょう。
サタンが神様に、「神様、最初に、私を天使長として立てられた時には、一時的な愛で立てられましたか。それとも、永遠の愛のためにたてられましたか」と質問するならば、神様はどのように答えられるでしょうか。
神様は「永遠に愛するために立てた」と語られるでしょう。
一時的な愛で立てたとするならば、一時的な愛の神様となります。
永遠に愛するという基準を持たなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使出来なくなるのです。
ですから、神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないというのです。
・・・・(中略)・・・・
世界的に迫害を受けても、世界的な恩讐圏に立っても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。
このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は「恩讐を愛せよ!」というものでした。
言葉は簡単ですが、今までこれが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたことを誰も知りませんでした。
神様がサタンを敵や恩讐とみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとすれば、絶対に勝利の絶頂を占有することはできません。
(平和経1263ページ)
血統が連結されているからです。一度に引き抜いてしまえば、人類を全て絶滅させなければなりません。
サタンの血を受けたものを一度に引き抜けば、人類がいなくならなければなりません。
アダムとエバまでいなくなります。
たたき潰さなければなりません。
なぜ神様は、アダムとエバをたたき潰して再び造れないのですか。
再び造るようにはなっていません。
愛はアルファでありオメガ、初めであり永遠です。
そのような理想的基準になっているので、その愛の対象的人間は打つことができないのです。
(天聖経427ページ)
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