2023年7月16日日曜日

霊的アンテナ

以下、全て先生の講話です。

皆さんは、永遠の世界があること、すなわち霊界があることに対して絶対に否定できません。
なぜなら、それは少しだけ努力すれば体験するからです。
少しだけ努力すれば、難なく体験するというのです。
長く統一教会にいる人たちは、みなこれを体験して、統一教会に入ってきたのです。
体験しなかったとすれば、人々が反対し、迫害する統一教会を誰が信じるでしょうか。
ところが、体験するので、信じなければ居ても立ってもいられないように、霊界から押し出すのです。それで信じてきたのです。
(真の父母経1297ページ)

私が伝道して、このように多くの人が来たのではないのです。
霊的に高い霊力をもった人々が集まってきました。
霊界が案内してきたのです。
このようにして来た人々は、「神様はいない」とは言えません。
そのような経験のない人が神様を否定するのであって、経験がある人は神様を否定できないのです。
(真の父母経1297ページ)

自分の素質が神霊的な面に合う人々は、霊的なことについて関心をもちます。
私はもともとそのように生まれつきました。神様に関する話をすれば、非常に気になるのです。
ご飯を食べずに二十四時間聞いても、聞くほどおもしろくなるのです。
そのようなときは、それを一方的にするのではなく、真理で補強しなければなりません。
このように、両面を選別して行かなければならないのです。
自分の素質、自分がどのようなタイプの人間かは、各自が分かるでしょう。そうすれば、その反対の分野を啓発するために努力しなければなりません。
真理を探求したり、神霊的な面での体恤をしたりしなければなりません。
必ず祈りと真理の探究が必要です。
神霊的なタイプの人は、既に霊的に感じたことを真理で消化できる基盤を築かなければならず、知性的なタイプの人は、その知性的な面に神霊的な面を補強できる体恤的な基盤を築かなければなりません。
そうすれば、それは必ず、自分が落ちていくことのない永遠の基盤として発展できる基礎になります。
自分一人では大変なので、必ず自分と相対的な素質をもつ人を友達にしたり、師にしたりして、指導を受け、協助を受けていかなければなりません。それが一番正しい道なのです。
(真の父母経1298ページ)

霊的に通じる人の多くは、霊的には強いのですが、真理の面では強くありません。
初めは太いのに最後が細くなれば、これは始終如一(始めから終わりまで同じ調子であること)ではないので、永遠に続かないのです。いつか必ず転がり落ちます。
また、真理は強くても、霊的な面が弱ければ、永遠に続きません。
ですから、私たちは、これを調整する生活をしなければならないのです。
祈りと真理、神霊と真理で礼拝せよという言葉があります。
それは、平衡をつくって和合する場に入りなさいということです。
人間は、霊界と肉界を調整しなければなりません。
霊的世界の中央に立たなければならず、真理の世界の中央に立って、調整できる人間にならなければなりません。
そのような人間にならなければ、完全な立場になることはできません。
(天聖経773ページ)

心の門、すなわち心門があります。
皆さんが祈ってみれば分かるのです。時間によって感じが違います。
真夜中の一時に祈るのと、三時に祈るのは違います。それは皆さんが体験してみれば分かります。
神秘的な深い境地に入って祈ってみれば、祈る時間によって感じが違うというのです。
朝に感じるものと、昼に感じるものと、夕方に感じるものと、夜に感じるものが、全て違います。
私たちの心の状態によっても、感じる基準が違うのです。
私たちが肉体的な感情をもって常に季節の変化によって感じる感度が変わるのと同じように、心の世界もそうだというのです。
ですからどの時間によく祈れるかを知らなければなりません。
祈りのよくできる時間は、神様と通じる距離が近いからです。
(天聖経773ページ)

韓国語に暗示という言葉があります。それはどういう意味でしょうか。
「私」が道を何げなく歩いているとき、ある良い家の壁に止まっていた鳥が飛ぶのを見て、ひそかに何かを感じることです。
実際の生活において、そのようなことが起き始めるのです。そのような暗示的なものが多くなるというのです。
ある人が語った言葉に、偶然何かを悟るようになります。
このような事実がますます多くなるのです。
暗示の段階を経るようになれば、どのようなことが起きるのでしょうか。
夢の啓示のようなことを体験するようになります。
夢の中で起こることですが、夢も、深い眠り中での夢ではありません。
パウロも夢うつつの中で三層の天を体験しました。
夢うつつの中でそのような現象や、あるいは声などというものを、五官を通して感じるようになるのです。
そのようなことを何げなく流してはいけないというのです。
それを総合して、「私」をどのような方向と連結させるために現れるのかについて、科学的な統計を出しなさいというのです。
必ずその結果が現れます。
ですから、皆さんが忘れられない夢の啓示のようなものは、100パーセント的中するようになります。
夢うつつの中で、ある人なら人、品物なら品物が関係を結ぶのですが、それが現実の中で実体として連結されるというのです。
(天聖経777ページ)

啓示の段階を過ぎれば、次は黙示の段階です。
一日中霊界に入って体験をする、などというものです。そのような世界にまでつながります。
神様に対する生活的な感情圏まで到達することができます。
皆さんがこのような体恤的な信仰をしなければ、偉大な天のみ旨の結果世界を、私たちの生活舞台に適用させることができません。ですから体験をもたない信仰者は、信じることができません。体恤的な信仰がどれほど高貴かということを、皆さんが知って啓発していかなければなりません。
その次に、役事というものがあります。霊的な力が、電気作用と同じように入ってきます。高圧電流に接したときと同じような力が訪ねてくるようになれば、私たちの意識より強い力が入ってくるので、それは別の世界の意識なのです。

体恤するためには必ず祈らなければならず、精誠を尽くさなければなりません。そこで現れる啓示や夢の啓示を絶対に無視してはいけません。それを調整して、現実的生活圏内に、実戦舞台にいかに適用させるかということが、信仰生活において最も重要です。(天聖経778ページ)





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