2022年2月7日月曜日

堕落とは

 男性は女性の、女性は男性のために生まれたのですが、自体自覚ではない他我自覚をして、自体自覚が再認定されれば、二人の所有権と勝利権が備わるのです。

しかし、相対圏の二人の価値を融合させる前に、自体自覚をして行動に出てしまったのが堕落です。
なぜそれによって、神様がこのように手を付けられず、無力になったのでしょうか。
堕落と言うのが、なぜそれほどまでに深刻かというのです。
善悪の実を取って食べたのなら、なぜ下部を覆ったのですか。
血を汚したのです。血を汚したというのは生命を汚したということであり、生命を汚したというのは愛を汚したということです。
天地大道の神経器官になるべき人間が、未成年期に堕落しました。
・・・・(中略)・・・・
堕落は、自由意思によってではなく、自体自覚によって起きました。
環境的に与えられた条件を忘れ、自分だけを中心として自体自覚をしたのです。
全体が和動するのを無視し、全体の主体と対象の連帯的関係を無視してしまい、個別的関係において連帯関係を占領したので、盗賊だというのです。それがサタンです。

創造理想の大宇宙の連帯的関係の愛の圏を、個人を中心として垣根を抜け出して支配したということは、神様までも無視してしまったということなのです。
(天聖経418ページ)

エデンの園のアダムは、神様のひとり子です。エバは、神様のひとり娘です。彼らが成長し、春の日になって花が咲くとき、二人が互いに春の歌を歌いながら、「あなたは私のお兄さんではないですか」、「あなたは私の妹ではないですか」と言えば、神様はどの様にするでしょうか。明るく咲いた花が香りを漂わせるようになれば、神様が(二人を)結んでくださったでしょう。
神様が結婚式をしてあげることによって成し遂げようとしていた創造の最高の理想が、アダムとエバを中心として成し遂げられるのです。彼らがひとり子と一人娘としてよく育ち、思春期まで行こうとすれば、期間が必要なのです。
(真の父母経31ページ)

人類の真の父母にならなければならなかったアダムとエバが、思春期になる前に堕落してしまいました。言い換えれば、秋に良い実を結ぶために春に種を蒔いたのですが、これが秋まで行くことができず、夏に落ちてしまったというのです。堕落とは正に、このように途中で脱落したことを意味します。
・・・・(中略)・・・・
成熟した思春期を迎えていない未成年の時に堕落しました。霊肉が神様の愛と連結されていない未発達の時期に堕落したというのです。そのため、愛が分からずにいます。
いが栗はいが栗なのですが、中身のないいが栗の姿と同じなのです。(天聖経409ページ)

人間始祖がエデンの園で犯した堕落の動機とは何でしょうか。自分を中心としたことです。
それで神様の息子の位置で息子になることができず、神様の娘の位置で娘になることができませんでした。
サタンの侵犯を受けたのです。そのために、すべて失ってしまいました。
侵犯されることを避ければ息子になり、娘になります。(天聖経457ページ)

堕落とは血統が変わったことです。家庭がなくなってしまい、国がなくなってしまいました。
・・・・(中略)・・・・
サタンの血統が入ってきて、心臓から動脈、静脈がサタンの血によって動き、すべての細胞が使えなくなったのです。
血統がめちゃくちゃになったので、実体世界の歴史を知らない無知に陥り、悲惨になったのです。
エバは自分を中心として自覚をもちました。
未完成の圏内で、自分を中心として自覚して対処し、天宙をひっくり返して打ち込んでしまったため、その自覚を新たにしなければならないのです。
(同420ページ)


堕落とは血統を転換したことです。
血統が問題です。
神様は、変わってしまった血統をどうにもできません。
神様の体になり、神様の実体を中心とした父母の血肉を受けた直系の子女にならなければならないのに、恩讐に奪われ、神様が計画したすべてを失ってしまいました。
天の国や地上天国の理念を中心として、愛の柱が建てられなければならなかったですが、その柱がすべて崩れてしまったというのです。
(同421ページ)

本来、創造理想の中で、愛は所有権を決定するようになっています。
したがって、一旦、愛の関係を結べば、その愛を中心とした主体と対象は、互いの所有権を持つようになるのが原理です。
このような原理的基準で、天使長が堕落して悪神になったサタンは、不倫の愛の因縁を通して、堕落人間に対する所有権を堂々と主張できるようになったのであり、人間の本当の父が神様でいらっしゃるのに、かえってサタンが父の振る舞いをしているのです。(平和経1550ページ)

真の愛の属性は、自分より相対のために投入することだと言いました。
したがって、神様には、御自身の対象としてつくられた人間が、罪を犯して地獄で苦痛を受けるようになるという概念はあり得ません。
これはすべて人間の先祖が真の愛の理想に逆らって堕落することによって、後天的に生じた結果なのです。
本然の世界から追放された人間の先祖は、神様の真の愛の祝福の下で真の生命、真の血統の子女を持つことができませんでした。
人類は神様の真の愛、真の生命、真の血統とは関係のない存在として生まれるようになったのです。
したがって、人間は、生まれる時から宿命的に救い主と救援が必要な存在になりました。
救援は現状回復、すなわち復帰です。
人間が堕落する前の原状に戻り、失ってしまった神様との関係を回復するのです。
堕落人間は、必然的に蕩減復帰の道を行かなければなりません。
したがって、神様は、時代と場所に合わせて宗教を立て、人類を復帰する発展的な道に導いてこられたのです。(平和経273ページ)

以下は先生の奥様が2002年8月10日、韓国で開催された大会の講演より抜粋したものです。

本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。
真の愛と真の理念をもって生きるべき人間が、真の理念を持つことができず、真の愛が何であるか分からなくなってしまい、幸福な環境で暮らすべき人間が、幸福の園を失ってしまったのです。
自由と平和を謳歌し、ひいては創造主の前に心情で一つになった幸福のすべての要素をもって、栄光をお返しすべき人間とならなければなりませんでしたが、そのような人間になることができなかったのです。(平和経154ページ)

一言でいうと、堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。
今日、私たちの周辺で、堂々と我がもの顔で猛威を振るっている極度の利己主義的思考と行為が、正に私たちを堕落の道に追いやった元凶なのです。
他人の立場や境遇を考える前に、自らの利益や都合だけを追求する拙劣な行為、他人が死のうと死ぬまいと自分だけが生きようという破廉恥な姿は、みな堕落が引き起こした行為の片鱗なのです。
しかし、これは、創造当時に神様が計画された本来の目的ではありません。
・・・・(中略)・・・・
人間には誰しも本然の世界を指向する本心が残っているので、人類は歴史を通して神様が願われる世界を望み、指向してきたのであり、私たちのその希望は、行くまいとしても行かざるを得ない、困難であるとしてもかなえざるを得ない理想として残されたのです。
(平和経156ページ)

終末である今日、利己的な個人主義が普遍的な生活様式になったことは、決して偶然ではありません。人々は日がたつにつれ、周囲からだんだんと疎外感を感じるようになり、自分の属する国家、社会、そして甚だしくは自分の家庭にさえ、さほど責任感を持たないようになっています。離婚率が日に日に増加しているという事実は、夫婦が互いに結婚に対する責任感を殆ど持ち合わせていないという証拠です。父母も子女に対してしかるべき責任をもちません。個人においても人間の尊厳性を失い、自分に対する責任すら取ろうとしません。
(平和経954ページ)




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