2022年1月31日月曜日

堕落の結果・・・・心と体

 皆様は、私たち一人一人の体の中で、常に戦争が続いていることをご存知でしょうか。

それは個々人の体の中における心と体の熾烈な闘いです。
本来、心と体は切り離そうにも切り離すことのできない、一つのものでした。
人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。

ところが、人間の堕落は人間の体を悪魔に引き渡したのです。
その時から人間の体は悪魔の僕になりました。

人間の良心は、神様を代表する心です。
良心は自分のために存在しません。天の義のために存在します。
良心は常に善に向かって走ろうとします。

それに対して体は反抗します。
体は自分だけが安らかであろうとし、利己的であり、本能的欲求に従って肉欲のままに行おうとします。
良心はこの体を叱責し、心に従わせようとします。
・・・・(中略)・・・・
ですから、昔から歴史を通じて、すべての宗教は自分の体を打つ道を教えてきました。
(平和経1359ページ)

私たちには体と心があります。
その体と心が一つになったときは苦痛を感じません。
体と心が一つになっていないとき、苦痛を感じるのです。
(天聖経379ページ)

私たち人間は、人生を生きる間、自分に最も近く、天下を与えても変えることのできない主人がいるにもかかわらず、知らずに罪に捕らわれて生きる哀れな群れだということを知らなければなりません。

その主人は正に自分の良心です。
この良心がどれほど皆様のために忠告し、疲れることも知らずに昼も夜も、悪い考えをすれば「おい、こいつ!」と言って引っ張り、峠を越え、川を渡るために、どれほど気をもんだことでしょうか。

真の主人の姿をもって私を保護しようとする心を裏切ったこの体、
・・・・(中略)・・・・
心と体が一つにならなければなりません。
(平和経1229ページ)

創造本然の人間は、その心と体に神様の真の愛を備え、それにそのまま感応しながら生活するようになっています。
言い換えれば、心は真の愛を中心として神様に感応し、体はその心に自動的に共鳴するのです。

心と体が闘うことのない真の統一の起源は、神様の真の愛をそのまま受け継いで体感するところにあります。
心と体が統一体になる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有する時に成し遂げられるのです。

心と体が真の愛を中心として統一されるところから、真の自由と平和の理想が出発できるようになります。
そして、心と体が統一された基盤の上で、自由で平和な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を成し遂げることができるのです。
ですから、世界と国家の中においてではなく、個人の心と体の間において平和の基点を探さなければなりません。
(同470ページ)

真の愛の共鳴圏に入れば、天と地がはっきりと見えるようになります。
釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったその言葉も、その共鳴圏の核心に入ってみると、天下がすべて自分の手中に入っており、神様が自分の中におられ、天理が自分と共に連結されているので、そのような言葉を言うことができたのです。
真の愛の共鳴圏に入るようになれば、信仰も必要無く、救世主も必要ありません。
(同1234ページ)



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