人間は、地上界で百年くらい生きて肉身の役割が終われば、自然に、そして自動的に無形世界の霊界に入って行くようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長です。神様が創造して下さった、人間の永遠の本郷なのです。(平和経1571ページ)
人間の構造をよく見てみると神様は本来、人間を二重構造で創造されたことが分かります。
有形世界である現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり主人として立てるために、霊人体を創造されました。したがって、人間は地上界に百年くらい生きて肉身の機能が尽きれば、自然に、そして自動的に無形世界である霊界に入っていくようになっているのです。
このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長にすぎないのです。神様が創造してくださった、人間の永遠な本郷です。(平和経647ページ)
腹中時代から、母親のおなかの中から出てくるとき、自分が暮らしていた所帯道具を抱えて出てきますか。すべて破壊し、捨てて出てきますか。一つでもぶら下げて出てくれば大変なことになります。へその緒で食べ生きていたのですが、それを切ってしまえば死ぬようになります。
しかし、母親のおなかの中から出てくれば、それを切ってしまわなければなりません。無慈悲に切ってしまわなければならないのです。すべて破壊して出て来るのです。
人間は、時になれば誰でも母親の腹中での生活を清算して、地上界での生涯を始めるようになっています。本人が願おうと願うまいと、宇宙の法則がそのように運行しています。想像もできず、夢にも見ることができなかった広大無辺の新しい世界が拡がるのです。水中生活の一生涯が終わり、地上生活の一生涯が展開します。腹中生活の十か月が地上生活の百年に変わり、発展するのです。
そして人間は、色とりどりの変化無双な生涯を生きていきながら、最終段階である霊界、すなわち死後の世界のために準備する生活を送るようになります。ですから、死ぬことを心配してはいけないというのです。もっと良い所に引越しするのです。(天聖経698ページ)
霊界は、いくら優秀で、いくら立派な知識人がいるとしても、彼が持っている知識を一週間以内に凌駕できる直観の世界です。心の光を通じて見るので、そこに関連している世界は自動的に理解されるのです。それは心情を通して見れば、「私」と相対的関係を持ち、主体的関係をもつようになるからです。(天聖経722ページ)
(iyo)上記は、アニメ「もののけ姫」の一場面を思い出すような内容です。
たしか、「オコトヌシ」というイノシシの頭領が、相手(アシタカ)の経験してきた記録を一瞬で吸い上げる場面がありました。
エデンの園で、アダムとエバは、お金を出して食べ物を買って食べたりしたでしょうか。すべてただでした。すべての環境条件をつくられた神様は、人間に無限の価値をただで与えてくださったので、霊界に行っても、無限の価値の存在がすべて自然に供給されます。その霊界は、神様が住まわれる本郷の地です。そこでは、お金を出して買って食べたりはしません。私たち人間の想像が及ばないほど、全てのことが可能な補給地です。
(iyo )これは夢のような話ですが、ここでいう霊界とは本郷の地となっていますので、天国のことでしょう。
ところで、霊界は、アダム、エバを造る前に造られました。霊界が神様のみ旨に反対することによってサタン世界が生じたので、霊界が神様のみ旨を歓迎してこそ、その世界が復帰されるのです。
・・・・霊界は、皆様の体の中にもあります。ですから、皆様は常に霊界を背負って歩き、連れて歩いているのです。
したがって、逃げることはできません。
霊界はあります。霊界はこの世界のためにあるのです。また、この世界は永遠の世界のためにあります。
「世の中のどこに神様がいて、霊界がどこにあるのか」と言うかもしれませんが、神様のいらっしゃるところが霊界です。私たちの人生が七、八十年で終わるとすれば特に問題はありませんが、永遠の生を中心として生きていくので深刻です。(平和経705ページ)
本然の世界に基づいて、私たちが生まれ、生きてから、行くべきところはどこでしょうか。
これがはっきりしていません。ですから一般の人たちは、霊界があるのかないのか、神様がいるのかいないのか、分からずにいるのです。しかし「統一原理」を学んだ人たちは、霊界が確実にあることを知っています。
信じているだけではなく、知っているのです。なぜでしょうか。多くの体験を通じて知るのです。
今日、統一教会が世界的な基盤を形成するに至った背後を調べてみる時、多くの体験過程を経てきたというのです。
・・・・(中略)・・・・
ある人は、「神様がいるとしても私たちとは関係ない」と思うかもしれませんが、それは誤った考えです。
「霊界があるとしても私とは関係ない」と言うのは、まるで「私は家庭の一員であって、国は必要無く、世界も必要ない」というのと同じです。
・・・・(中略)・・・・
使徒パウロが霊界の第三の天(コリント2-12-2)を見て体験したことが、彼にとって根気強く宣教活動を続けることができた原動力になりました。(平和経703ページ)
本来、人間の内なる人である霊人体は神霊の感応体です。
しかし、堕落人間は、故障した霊人体をもったので、霊人と霊界の存在さえ分からずに生きてきました。
これを修理して浄化すれば、万人が自然に神霊の役事を経験することができます。
したがって人間は、霊界を必ず知らなければならず、そのような時が来つつあるのです。
(平和経272ページ)
皆さんが腹中で、「私は陸地の世の中に出て、口で蜜も食べ、餅も食べ、ご飯も食べ、牛肉も食べ、すべて食べる」と考えてみましたか。「ここを抜け出たら死ぬ」と思いながら、へその緒を通じて生きているのです。今それを思えば、息が詰まります。それにもかかわらず、腹の中から外に出るのが心配で、「出なければよい!」と思うのです。しかし、時になれば、すべて出ていきます。破水すれば、その水によって外に出て、出産になります。無事に生まれるのです。(天聖経695ページ)
監獄生活をして最も印象的なことは、苦労したことです。そのようなことがあるほど、霊的な心との共鳴圏が鋭敏になるというのです。普通の人であれば耐えられない重労働をするときでも、体は労働をしていますが、心は労働をしないのです。このようなことをすれば、霊的な体験が本当に早くなります。そのような体験をすれば、体の疲れはすべて吹き飛びます。必ずそのような体験をしなければなりません。この体験をしなければ、霊界に行って共鳴体になりません。(真の父母経1304ページ)
霊界では、赤ん坊を生みません。霊界は縦的な世界です。神様を中心として円形を形成している世界なので、赤ん坊を生む必要がありません。体をもつ人間を造られたのは、横的な基盤が必要だったからです。それは繁殖する畑です。霊界の民は、すべてこの地球から行くのです。(天聖経736ページ)
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