2022年1月20日木曜日

家庭は幸福の基地

 人にとって幸せな環境とは、どのようなものでしょうか。
幸せな環境にある人とは、父母の愛を受けられる立場に立った人です。
その次には、夫婦の愛を互いに授け受けできる立場に立った人です。
その次には、子女を愛せる立場に立った人です。
その次には、兄弟の愛が分かる立場に立った人です。

そのような内容が分かってこそ、国家と世界を発展させることができます。
したがって、幸福の母体になることができるのは、完全な家庭の円満な父母と夫婦、そして子女を中心とした愛の基盤なのです。

私たちは、家が絶対的に必要です。
完全な幸福の根拠地である家を離れては、国も、世界も、いかなる目的も成立しません。
私たちは、神様が望む家を中心とした父母、夫婦、兄弟にならなければなりません。
幸福の要因や願望の要因も、家を中心として国家と世界に広がっていきます。
神様が望む出発点と決着点は家庭です。

しかし、私たちは神様が理想とする家を築くことができませんでした。
むしろ破滅と不幸に近づいているのが、私たちが暮らしている家だというのです。
最高の幸福の根拠地である家が絶望の根拠地になり、不信の根拠地になるとは誰も知りませんでした。
神様は、これを蕩減復帰するために、今まで役事(働き)してきました。
そのような家庭的な不幸は、アダムとカインの時から始まったのです。
(天聖経499ページ)


ある人は、「会社に行っても愛を探すことができる」と言うかもしれませんが、違います。会社は物質を通して利益を得ようと連結されたところです。
また、政治の分野は、人同士が自分の権益を得るところです。
そして、宗教も、神様を見出すありとあらゆる方法があり、それぞれの宗教で異なる方法があります。
それで神様を見出すことは出来ますが、愛は見いだせません。
真の愛は家庭で探さなければならないのです。

いくら会社に出て行ってお金をたくさん稼いでうまくいったとしても、愛する家庭のない人は不幸な人です。
また、いくら政治の分野に進出して大統領になったり、国会議員になったりしたとしても、帰ってきて愛することのできる愛の家庭がなくなるときには、不幸な人です。
(同500ページ)


人間の生活において、ある人を幸せな人だというとき、何を基準として幸せだと言うのですか。
外的な能力、権勢、権威をもっているからといって、幸せな人だと言うことはできません。何不自由ないほどお金があるといって幸せな人ですか。
違います。
世界的な知識を有していて、世界を意のままにできる位置にあるからといって、彼が幸せな人になることができますか。
決してそれだけで人が幸せなのではありません。

この地のすべての人間が、幸福の根拠地は家庭だと一般的に感じ、体験し、認めながらも、いまだに幸せな家庭の基準をもつことができずにいます。
ですから問題は家庭です。
(同501ページ)


天国は「私」が父母を愛するように、年を取った人々を愛することができる世界、兄弟を愛するように世界の人類を愛する世界、そして、夫婦同士で愛し合うように自分と同年配の人々を愛する世界です。
家庭的な心情を中心とした、大宇宙的な人格観を中心として生きる世界です。
そのような人々の家庭が全体化した社会的形体が、天国社会だというのです。
天国は、私の家庭を拡大した世界、私の兄弟を拡大した世界なのです。
(同502ページ)


家庭は、天国に行くことのできる訓練所です。
修練所だというのです。
世界には、祖父や祖母のような人々も暮らしています。
家庭を拡大すれば、世界と全く同じなのです。
父母の年代、夫や妻の年代、息子、娘の年代を拡大したのが世界の人類です。
ですから、家庭で訓練されたことを四方に拡大させて、ために生きる愛をもって生きる人は、天国に行くことができます。
家庭は、天国に直行できるようにする修練所なのです。
(同504ページ)

人間は成長期間を通して、神様の愛を段階的に体得します。
生活の中の経験を通して、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛を順次的に体得するようになっているのです。
この四種類の愛と心情がとどまる基台が家庭なので、家庭は人間の愛と幸福、そして生命と血統の基地になるのです。
このように、真の愛の家庭は、人間の願いであると同時に、神様の創造目的の根本でもあります。
人間の個体や家庭、そして社会や環境の真の完成は、家庭の中で真の愛の具現にその根を置いています。
(平和経477ページ)

家庭というものは、人類愛を学び教える学校です。
父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出て行けば、家で学んだとおりに、困っている人を愛の心で助けるでしょう。
また、兄弟姉妹の間で情け深い愛を分かち合って育った子供は、社会に出て隣人と厚い情を分かち合って生きて行くでしょう。
愛で養育された人は、世の中のどんな人でも家族のように思うものです。
(真の父母経233ページ)

皆様。共に生きる生活の典型は家庭です。
父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭の姿が、正にモデル的理想家庭なのです。
真の愛の根に、真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を取り戻さなければならないと言うことです。
そのような家庭には、歴史の根が生きており、天国の根が張っているのです。
地上天国の根が張っている所が、そのような家庭です。
永遠に継続する王権の根も、ここに定着するのです。
・・・・(中略)・・・・
神様も、どこかへ外出しても懐かしく思って、再び訪ねて来られる家庭を築きなさいというのです。
父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねられる過程を準備しなさいということです。
それが、正に神様に侍って暮らす生活です。
(平和経1579ページ)



以下は、平和という観点から、第九回「科学の統一に関する国際会議」での学者たちを相手にしての講話です。(1980/11/27 マイアミのヒルトンホテルにて)

平和は、世界的段階に限って求められるものではなく、国家や社会、または家庭の段階においても願われています。
さらには、個人においても心と体の平和を渇望しています。このような平和に対する様々な段階のうちで、最初に成し遂げられなければならないものはどれでしょうか。
先に世界平和が成し遂げられるならば、その基盤の上に国家、社会、家庭、そして最終的には個人の平和も成し遂げられるだろうと考えがちです。しかし、これは誤った見解です。
それは、実際に平和を成し遂げるために必要な順序とは反対です。ですから、先に個人的な平和が実現されなければなりません。その次に、家庭の平和が成し遂げられ、そのような基盤の上に、社会と国家、そして世界といった、それぞれの平和を期待することができるのです。これは個人が家庭の基本単位であり、家庭は社会と国家の基本単位だからです。
多くの指導者たちは、優れた組織と立派な思想を通して、社会秩序と世界平和を回復することができると信じています。しかし、現実において、ただ単にこのような二つの手段だけでは、人類平和は絶対に実現されません。
国連のような国際機構と共産主義や民主主義などのような思想体系は、それぞれ独自の方法で世界平和を実現するために努力して来ました。しかし、平和はまだはるかに遠く、世界は時間が経つにつれ、ますます混乱状態に陥っていくのです。(平和経738ページ)




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