2022年2月26日土曜日

高度宗教の発生と成長

 イギリスの歴史家、アーノルド・トインビー氏は、文明単位に世界の歴史を比較・研究しました。
あまりに読みが深すぎて(?)、歴史家という域を飛び越えてしまったような面があります。
「歴史の研究」が主著ですが、膨大過ぎて、ちょっと読み直してみるというわけには行きません。
理解可能な歴史研究の範囲は?・・・・という課題から始まって、それまで主流だった国家単位の研究ではなく、文明単位での発生、成長、衰退、解体の過程を研究しました。
その中で、高度宗教の役割について、ユニークな観点から興味深い内容を語っています。

「歴史の研究」は、3巻(日本語版)に要約された版もあり、こちらの方が多く読まれたようです。

ここでは、山本新氏の著書から引用しています。
講談社「人類の知的遺産 74 トインビー」 昭和53年8月20日第1刷発行 
 著者 山本新
 Ⅱトインビーの生涯と思想の変遷
  第二の転機(文明から高度宗教へ)より(P.63)

「一文明内の事象はその文明全体の文脈からでないとしっかりはわからない、という考えをトインビーはシュペングラーから受け、この考えによって「歴史の研究」を書き綴っていった。

その半ばに達し、文明の最終段階である「世界国家」の段階にさしかかるあたりになると、一文明内の事象をいくら調べてもわからぬことがいろいろと出てきた。」(P.68)

「一文明が固有の領域をこえて、他の文明の領域を征服したり、長期にわたって支配したりしたとき、そこでおこることは、二つ以上の文明の出会いであって、一文明の内的展開ではない。

「出会い」というからには、当然、文明間の闘争であり、葛藤であり、支配的な文明の側からだけ一方的にみることはできない。

トインビーにとって、最も重要と思われたことは、高度宗教の誕生であった。」

・・・・(中略)・・・・

「いくらギリシア文明を吟味してみても、なぜ、ローマ帝国がその末期にいたってキリスト教に改宗したかは理解不可能である。
また、いくらシリア文明をそれだけの枠で吟味しても、ユダヤ教からキリスト教が紀元直後にいたって出て来たかは理解不能である。」
・・・・(中略)・・・・
「高度宗教は、一文明の純粋に内的な発展または内的成熟から生まれたものではない。
高度宗教が生まれるためには、文明と文明の接触、より具体的に言えば、一文明による他文明の征服が必要である。

他を征服した文明の側には、高度宗教を生むほどの高い精神が培われず、逆に、他から征服された文明の方に高度宗教が生まれる。

強いこと、勝つこと、支配すること、優位に立つことだけが価値のあることと思っている価値観を根本からゆさぶるのが、高度宗教の誕生の深い意味である。」(P.69)

(以前の)「トインビーにとって、高度宗教の歴史における役割は、親文明を子文明に橋渡しする「蛹(さなぎ)」の役をするものであった。」
・・・・(中略)・・・・
「しかし、宗教中心に、宗教の方に重点をおいて考えると、文明は高度宗教を生み出すために、挫折し、解体し、消滅し、やがて子文明として誕生するのだ、というふうに解しうる。

「蛹」説を放棄し、文明を高度宗教の手段の位置におとし、文明の目的は高度宗教を生み出すことにあるという見解に達した。」(P.71)

「これは神学者や宗教家の歴史観に酷似しており、これには世俗の歴史家はついていけなくなった。

歴史は神の活動する舞台であり、その秘儀を前衛的に自覚的に代弁し、代行するものが教会であるということになる。
宗教団体である教会は、神的事業にもっとも直接に接触している社会組織で、文明とは別種の社会と考えられ、そこに、歴史の要である中核的な錘(おもり)があるとされた。

いいかえれば、歴史の表面には、民族や国家が活動しているように見えるが、世俗的活動は、実は文明と言う単位で動いている。
しかし、それを一皮めくると、諸文明の抗争し、角逐する歴史の奥に、宗教史がかくされているから、歴史の意味と目的は、宗教史のクライマックスである高度宗教を中心に読まなければならないというのである。」(P.72)

(iyo)ここではキリスト教の例を中心に記述していますが、その親にあたるユダヤ教も同じような経過を辿っています。

南朝ユダが新バビロニアに滅ぼされて、バビロンに捕らわれの身となりました。
この頃からユダヤ教が深化・成熟していったと言われます。
キリスト教もローマ帝国の迫害の中で成熟しましたし、宗教に迫害はつきものですね。

トインビーには「一歴史家の宗教観」という著書もあって、山本新氏は代表作に挙げています。

30年もかけて「歴史の研究」を書いている間に、本人の考えにも変化が生じてきています。
歴史の背後に神の存在を見るようになってきました。
以下、同じく世界史家のマクニール氏の文章より引用。
 社会思想社「トインビー著作集」の「トインビー研究」 
「『歴史の研究』の基本的想定」(p120) W・H・マクニール

「各文明の衰退期に宗教が創始せられることによって、人間は神についての知識を、苦しい骨折のなかで、何ほどかずつ積み重ねてきた。
こうして世界史は、人間に対して神が自己を漸次に段階的に啓示していく過程と見られるにいたった。
宗教が歴史にかわって、人間結合のもっとも価値高いもっとも重要な形式となり、神が人間にかわって歴史の主役となった。
・・・・(中略)・・・・
文明の周期性はなるほど依然として認められはした。
しかし、文明は回帰しつつも前進する。
それは大きい戦車の車輪のように、人類を載せて、絶えず前進を続け、神的な意志によって定められたある目標、予知しがたいが、あきらかに好ましい目標へと人類を近づけるのだと考えられた。」

(iyo)
トインビーの「歴史の研究」には、「誰のために」という見出しがあって、世界国家(例えばローマ帝国)がつくり出した平和や制度は、誰のために最も有効に機能したかを検証しています。
具体的には、交通手段、首都、地方制度、公用言語と公用文字、法律制度、駐屯部隊と植民地、度量衡や貨幣など、多方面から様々な文明を対象に検討・分析します。

例えば、「ローマの平和」がもたらした最大の恩恵とも言える交通手段について・・・・レギオンや商人たちも大いに利用しましたが、最も有効活用したのは、使徒パウロを始めとするキリスト教徒達の伝道活動であったと結論付けます。
聖書の使徒行伝にはそのようすも書かれていますが、中でもパウロは、歴史的に見ても長距離旅行者として有名な人物のようです。
新約聖書には「○○の手紙」というのも沢山ありますが、山賊や海賊が多ければ発展は難しいわけで、郵逓制度もその多大な恩恵の1つでしょう。
その後の時代においても発展し、世界国家全体に教会が多数作られました。司教や大司教が忙しく飛び回ったとか。

日本でも徳川幕府(世界国家に相当)のおかげで、平和が訪れ、各街道が整備されました・・・・もっとも日本の場合は弾圧により、布教活動は失敗に終わりましたが。

結論として、世界国家の諸制度は、当時の支配者達が意図しない、意外な利用者に役立つことがきわめて多いとのこと。

こうした世界国家をつくった本当の目的は、まさに神のみぞ知るということでしょう。

(iyo)国家の興亡と宗教について原理講論p142から引用します。
「中国の歴史を見ると、春秋戦国の各時代を経て、秦統一時代が到来し、そして前漢、新、後漢、三国、西晋、東晋、南北朝の各時代を経て、隋唐統一時代がきた。
さらに、五代、北宋、南宋、元、明、清の時代を経て、今日の中華民国に至るまで、複雑多様な国家の興亡と、政権の交代を重ねてきたのであるが、今日に至るまで、儒、仏、仙の極東宗教だけは、厳然として残っているのである。
つぎにインドの歴史をひもといてみても、マウリア、アンドラ、クシャナ、グプタ、ヴァルダーナ、サーマン、カズニ、ムガール帝国を経て、今日のインドに至るまで、国家の変遷は極まりなく繰り返してきたわけであるが、ヒンズー教だけは衰えずにそのまま残っているのである。
また、中東地域の歴史を見れば、サラセン帝国、東西カリフ、セルジュク・トルコ、オスマン・トルコなど、国家の主権は幾度か変わってきたのであるが、彼らが信奉するイスラム教だけは、連綿としてその命脈が断ちきられることなく継承されてきたのである。
・・・・(中略)・・・・
ヨーロッパの主導権はギリシャ、ローマ、フランク、スペイン、ポルトガルを経て、一時フランスとオランダを経由し、英国に移動し、それが、米国とソ連に分かれ今日に至っているのである。
ところが、その中においても、キリスト教だけはそのまま興隆してきたのであり、唯物史観の上にたてられた専制政体下のソ連においてさえ、キリスト教は、今なお滅びずに残っている。
・・・・(中略)・・・・
 歴史上には数多くの宗教が生滅した。その中で影響力の大きい宗教は、必ず文化圏を形成してきたのであるが、文献に現れている文化圏だけでも、二十一ないし二十六を数えている。
・・・・(中略)・・・・
そして近世に至っては、前に列挙したように、数多くの国家興亡の波の中で、結局、極東文化圏、印度教文化圏、回教文化圏、キリスト教文化圏の四大文化圏だけが残されてきたのであり、これらはまた、キリスト教を中心とした一つの世界的な文化圏を形成していく趨勢を見せているのである。
・・・・(中略)・・・・
このように、文化圏の発展史が数多くの宗教の興亡、あるいは融合によって、結局、一つの宗教を中心とする世界的な文化圏を形成していく」

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